泉州の秋祭りに命をかけ、趣味はバイクと車だった正幸さん。バイク、そして愛車のベンツを捨て、今は軽トラとトラクターが愛車に。ライフスタイルを大きく変えるきっかけ、日高川町の暮らしで感じる苦労や喜び、これからやりたいこと……。「話すのはニガテや〜」とおちゃめに苦笑いする、正幸さん。るみさんとのリラックスした雰囲気から、徐々に正幸さんの熱い思いを語ってくれました!
目次
田舎暮らしを踏み出したきっかけと日高川町とのご縁
ーそもそも、どうやって日高川町にたどり着いたんですか?
正幸:物件をまわり回ってやな〜。お互い、子どもの時に日高川町に来てたんよ。日高川町の道を通ったときに見覚えがあって、(るみさんも)「来たことある!」って。
ーじゃあ、物件探しで日高川町に来たときに、初めてご夫婦とも日高川町にゆかりがあるってわかったんですね!
正幸:そうそう!だから、なにか縁とか結びつきがあったんかな、って。
るみ:私、日高川町でキャンプするのが夏の思い出やってん。今、葬儀場があるところは昔は小学校だったから、そこで水をもらってた。(日高川町役場企画政策課の)奥村さんに「もう小学校ないよ〜」って即答されたけど(笑)。
ー田舎暮らしにライフスタイルを変えるきっかけは何だったんですか?
るみ:物件探しは、突然2021年の1月から始まったな(笑)。
ー突然だったんですね(笑)。
るみ:(正幸さんの)会社の退職が65歳に延長になって「65歳まで仕事するのはしんどい」って言うから。私は、しんどいんやったら60歳で退職してもいい、って言ってたんよ。それが50歳くらいで頸椎をやられてしまって。しびれ、頭痛……そこから病院通いが始まった。
正幸:まぁ、カッコええ言い方やけど……それがきっかけで自分自身を見つめ直した。果たして65歳のときに、自分が思ってた田舎生活、就農ってできるんやろうか、って。
基盤づくりにどれだけ時間がかかるかわからへんし。で、54歳で思い切って退職。でも(るみさんは)最低60歳まではサラリーマンしてくれると思ってただろうけど(笑)。今来て正解やったんちゃうかなって。
るみ:ほんま、そうやね。
ご夫婦2人で自力の物件探し
ー日高川町の前にも、いくつか物件を見てきたんですか?
るみ:和歌山県の大半は見たな。不動産屋と一緒に行くんじゃなく、地図と物件を見て、住所を教えてもらって。直接現地に行って近所の人に声かける……って方法で探した。
不動産屋に連絡すると「今日は空いてない」って言われることが多くて。「僕、先に見てもいいですか?」って外観だけ見に行ってたんよ。
正幸:家の中は二の次で、まずは立地。3、40件は見たな〜。どの土地の人もみんなスゴイええ人!俺もこういう性格やから(笑)、人見たらすぐに喋りかけるやん?「この物件って曰く付きですか?」って。そんなん、不動産屋に聞いても教えてくれへんからね〜(笑)。
近所の人に話しかけると、みんな「はよ住んで!」って言うんよ。「地区長やって!」とまで言われる。まだ住んでもないのに(笑)。
るみ:住人さんは「畑を遊ばせてることがもったいないから」って言ってたな。
ー住人の方と話をして事前に地域を知っておく、って素晴らしい方法ですね!住む前から住人さんと繋がれますしね。
正幸:近所の人に聞くのが一番いい。俺、喋るの好きやしな(笑)。住人さんが「コミュニティバスも走らんようになる、私らどうしたらいいんやろ」って言うから、そんなん俺らが住んだら買い物ぐらい行くよ!って。
みんなで助け合ってやったらいいしな、って言った。そしたら「はよ来て、はよ来て」って(笑)。みんなウェルカムだったよな。
ー住人の方も、杉谷さんにそう言ってもらえて嬉しかったでしょうね。最終的に今のお住まいにした決め手はなんだったんですか?
正幸:若いときに大阪からバイクで「目指せ龍神!」って、この近くの道をバンバン走ってたから馴染みがあった。
幹線道路からひとつ道が外れてるし、静かに暮らせるかな?と思って。サラリーマン時代のストレスがあるから、静かなところが良かった(笑)。
るみ:ここの近所の人は、来る前から野菜をくれたり、ほんまにウェルカムだった。何度も「いつ来るの〜?」って言ってくれて。
最終的な決め手になったのはご近所さんちゃう?決めたときは畑も見てないし、気候も知らずに来てるから。やっぱり周りの人の人柄に惹かれたんやと思う。
初めての田舎の近所づきあい
正幸:はじめに来たとき、玄関に野菜が置かれてて。「誰が置いてくれたん?!」ってビックリしたな?(笑)
るみ:自分たちができるお返しって飲み物しかないから、お礼に持っていったら「こんなことしたらあかん!持ってこんでいい!」って怒られたな(笑)。
正幸:見返りを求めてるんじゃないんよな。善意と言うか。きれいに食べてくれたら嬉しいって。だから、こっちもめずらしいもんあったら返したらええかな、って思うようになった。
大阪におったら手土産もらったらお菓子とかで返してたし、家の玄関にモノ置かれてたら「毒入ってるんちゃうの?」って(笑)。みんな、あったかいよな。個性は強いけど(笑)。気が良い。
るみ:近所の人から「これもらってきたから、上手く活用せぇ!」っていろいろな物をくれる。
自分たちが山を持ってないから、薪ストーブ用の伐採した木をくれたり。ぜんぶ、いただきもの。他人なんやけど、私たちのことを家族として見てくれる。
るみ:みかん収穫の仕事から帰ってきたら「疲れてないかー?」って一緒に温泉に行ってくれたり。みんな、私たちの疲れをわかってくれる。
私が、天ぷら作るのニガテや〜、って言ったら、「作ってあげるわ〜」って。大阪じゃ口約束じゃないですか。それが現実に届いて(笑)、うれしかった。
田舎に来て初めて経験した獣害
ーもともと正幸さんの実家は農家だったんですか?
正幸:そう、農家の次男坊。サラリーマンしながら土日のお手伝いくらい。だから0から100まではわかってなかった。今は色々、親父に指導してもらってる。
るみ:お父さんお母さんに甘えっぱなしやな。全部お父さんたちからのいただきもんやしな。
ー農家の息子さんに育って「いつか自分も農業したい」って思ってたんですか?
正幸:家庭菜園はずっと大阪の家でやってたよ。でも大阪では獣害はない。上からサルが来るなんて、ありえへんかった。
ーサル被害にあった作物はなんですか?
正幸:さつまいも。玉ねぎは収穫後の売り物用にストックしてたやつを食べられた。
るみ:玉ねぎは新聞を外して食べてた。ほんま人間と変わらん。外皮むいて。
正幸:レッドオニオンの赤い皮もむいて。
ー人間みたい!笑ったらあかんけど……(笑)。
正幸:いや、ホンマ笑えるで(笑)。
るみ:ほんで、ちっさい玉ねぎは一切食べてないねん。
ー良い玉ねぎばっかり食べる、と(笑)。
正幸:見る目あるわ〜!美味しいやつ皆、な?マルチ(畑の畝をおおうビニール)を横から破って、根っこからサツマイモをむしって。穴を掘って「あ、ないやん」って。
ーサツマイモが埋まってることを知ってて掘ってみたものの、まだ収穫時期じゃなかったか……って諦めたってことですね(笑)。
正幸:「あかんやん!まだやん!」って(笑)。
るみ:しかも、散らかしてないねん。
正幸:畝の横に「なーい、なーい、なーい」って投げた跡がある(笑)。
るみ:やっと根が張って、力強く立ってきてくれたときに来られた。
正幸:喜んでる矢先にトウモロコシも折られて……心も折れかけて……(笑)。今回はかなりショックでしたわ。
なぜ「ニンニク」を無農薬で作ろうと思ったのか
ー今、売りに出してる作物はニンニクですか?
正幸:一番はニンニク、あと玉ねぎ、じゃがいも。今は「道の駅SanPin中津」と「道のほっとステーションみやまの里」に置かせてもらってます。
ーなぜニンニクだったんですか?
正幸:二人ともニンニクが好きで。サラリーマン時代、疲れたときにニンニクを食べてた。肉を焼いたときに、ニンニクを乗せるのと乗せへんじゃぜんぜん味が違う。
ニンニク自体が身体にええもんやけど、もっと良いものにしようと思って「無農薬」を目指した。
農薬は必要やって言われて買ったんやけど。自分の口に入れる、自分の子どもや知ってる人の口に入れる、って想像したら、使わん方がええんちゃうかって。無農薬は大変だってわかってる。腕までドロドロになりながら。その手で顔もかけないし……。
ー元から無農薬でやろうと思っていたわけではなかった?
正幸:一応、農薬も買ってはいる。でもいざ使うタイミングが来たら、ためらってしまった。
るみ:JAの人にも「農薬使わなかったら草が生えます、ちょっとは使ったほうがいい」って言われたけど。作ってるものを見て「いいものを作ってる」って言ってもらえた。
正幸:いいもの作ってる、って言われて嬉しかったよ〜!でもJAに出荷できなくなってしまって。一攫千金を狙ってたわけじゃないし、生活費稼げて、美味しいもん作れたら、って気持ちでいただけなんやけど。
出荷できなくなってから、ものすごい焦りが来た。そのグチを呑みながら話してたら、大阪から来てた人が「情熱持って作ったええもん、安売りすんのやめましょう!僕が売り先、何件かあたってみます!」って言ってくれて。次の日、彼からLINEが来て、大阪の大繁盛してるカレー屋さんに売れました!って。
ー正幸さんのその熱い思いで、どんどん営業していきましょう!
るみ:もっと熱意を押してくれたらええんやけど。ここで変な恥ずかしがり屋が出るねん(笑)。プライドが高いのか……(笑)、杉谷ファームの顔を売っていかなあかんねん!(笑)
ーこれからですかね!(笑)実際にカレー屋さんに出荷する時、どんなことが大変でしたか?
るみ:生きてるもんやから。腐らへんかったら、いいんやけど。腐ってクレームが出たら、杉谷ファームの名前汚されるんと一緒。
正幸:お客さんにも迷惑かかるしな。
るみ:玉ねぎなんて切ってみないと腐ってるか分からへんでしょ。表面を触ったときに固くていけてる。でも中で腐ってたらあかんし。
正幸:今回カレー屋さんに売るのに、かなり慎重に選んだな。40kg分、ほんま一玉、一玉な?匂いまで嗅いで。
るみ:上の方切ったら泡みたいなん出るから除けとこ、って。
正幸:切ってみたら何の問題もないんやけど。おいしく食べれるし。
ー「売る」となるとそれだけ神経を使う、ってことなんですよね。
正幸:ぶつかると痛むし、封をすると蒸れるし。重い玉ねぎを下に置くように工夫したり。でも40kgはなかなか大変やったでな〜!うれしいけど(笑)。
るみ:カレー屋さん、喜んでくれてた、って言ってたな!
これからの課題は営業活動
ー杉谷さんの今後のビジョンとしては、売り先を見つけていく、他にも販売できる作物を探している感じですか?
正幸:そうやな。
るみ:SanPin中津で、お客さんの「どこの道の駅に行ってもジャガイモと梅しか売ってない」って言葉を耳にして。ジャガイモだけを売ってもダメなんや、今収穫できてないものを売らないと勝負できへんわ、って。
正幸:ええこと聞いてきたな、って。数日前に妹から電話があって「インターネットでも売っていかなあかんで〜!」って説教をもらった(笑)。インスタも始めたところ。ネットは苦手分野やからな〜(笑)。
[取材前に、私から杉谷さんにインスタグラムの使い方をレクチャーしていました]
るみ:あれから頑張って2回インスタに投稿したんやで!いつも甘えてくるから今回は聞かれても自分でやってもらうようにした。カッコええなー!って見直したわ(笑)。
ー頑張りましたねー!どんどん投稿していきましょう!(笑)
物件契約の苦労の中で生まれた役場担当者との絆
ー物件の契約までが大変だった、と聞きました。役場の担当者の二人と一緒に頑張ってきたとか。
正幸:彼らがド変態やったんちゃう?(笑)
るみ:もうこの物件を諦めようかな?って思ってたときに、(定住支援員の)西川さんが他の物件を紹介してくれて。
正幸:なんでここまで自分たちに言ってくれるんかなって不思議で。奥村さんは「杉谷さんには絶対に日高川町に住んでほしい」って言ってくれて。なんか知らんけど。
るみ:移住前の日高川町の広報誌に西川さん(と正幸さん)の写真が載ってて(笑)。近所の人から「写ってたでー!」って言われて知ったんよ。
正幸:彼らが言うには、移住者でも地域の人に積極的にコミュニケーション取っていく人は多くないみたいで。だから俺は誰とでも関係性が作れるから、日高川町に絶対来てもらいたい!って思ったみたい。
るみ:2人はいつも家に寄ってくれて。嬉しいんやけど、お仕事の邪魔しにくんねんな(笑)。歳の離れたお兄ちゃん感覚なんやろうな(笑)。
自ら行動してこそ感じる移住後サポートの必要性
ー日高川町が今後、こうなってほしい!という思いは、何かありますか?
正幸:道の駅とか産直がもっと欲しいよな。クルマを停めて買い物できる場所。
ー作り手としては、農作物を卸すところがほしい?
正幸:そうそう。アマゴ釣ってる人もおるし、卸せる場所があるとええよね。俺もそうやったけど、龍神を目指すだけで、帰り道は通過するだけだったから。
ー移住してから就農のサポートというよりは、杉谷さん自らアクションを起こしてきた?
正幸:そうだね。自分で動くしかなかった。
るみ:近所の人が「JAに顔売りに行こかー」って連れてってくれた。地区長さんも。
ー杉谷さんは家探しの段階からずっと受け身ではなく、自分から動いてきた。就農するときも自ら動いていったんですね。
ー他にも何か「日高川町に良くなってほしい!」と願うことはありますか?
正幸:車とバイクは龍神だけを目指して走るから、日高川町は素通りしてしまう。だから車やバイクを停めて買い物できる場所が必要やと思うんよ。
新しく道の駅や産直ができれば、地元の人の雇用に繋がるし。町外に働きに行かなくても良いようになってほしい。今の自分に何が出来るかは分からへんけど。日高川町に来させてもらった縁があるし、何らかの形で恩返しがしたい、と思ってます!
杉谷さんの行動が地域の良い循環を生み出している
ー杉谷さんが周囲の人と繋がりたい!と行動したり、農業を一生懸命している姿を見て、みんなが「なにか応援したい」って思うんでしょうね。
正幸:地区長さんが「杉谷さんが来てから、みんな野菜を作り出してきたやろ?あんたの力もあんねんや。」って言ってくれた。この地区は自家用の野菜も作らんようになってたらしいんよ。
るみ:「よそ者がこんなに頑張ってんのに、俺らも負けてられへん!」ってなってるみたい(笑)。
ーすごくステキな話!ほんと、それっていい循環ですよね。空き家に人が住むようになっただけでも喜んでくれてると思いますが。
正幸:うん、それも言われる。明かりがついててホッとする、って。監視されてるんやないんよ。夜遅いと心配、とか。見守ってくれてる。
ーみなさん、杉谷さんに農業を教えるのも嬉しいんでしょうね。
るみ:ニンニクの種も近所の人がくれたんよ。その方は亡くなってしまったから、ニンニクが収穫できた時に奥さんに、お供えしてほしい、って頼んで。奥さんは「売上になるから、そんなんええよ」って言ってくれたけど。これは彼にもらった種なんで、ってニンニク渡したな。
正幸:あの人に「立派なニンニクが出来たから見てほしい!」って思ってな。
るみ:彼に、こんにゃくの種芋ももらったんよ。彼はこんにゃく作りに失敗してて。だから(正幸さんは)「絶対にこんにゃく芋を成功させる!」っていうのが夢なんです。
ー素敵な夢ですね〜!数年後が楽しみですね。最後に、杉谷さんは日高川町に来てよかったですか?
正幸・るみ:はい!(即答)
ー今日は貴重な時間をいただき、ありがとうございました!
定住支援員の西川さんから見る杉谷さんの魅力
ーなぜ杉谷さんに「日高川町に住んでほしい!」と思ったんですか?
西川:元気な人なんで(笑)。 基本、田舎暮らしに憧れる人って2通りいて。都会ぐらしで疲れてのんびりしたいタイプと、田舎で新しいことにチャレンジしたい人と。
ザックリ言ったら、この2タイプ。後者は地域に新しい刺激を与えてくれる人だから、ぜひ来てほしいって思ったんですよ。
特に50代の人で周りを引っ張っていけそうなタイプは少ないから、杉谷さんはいいな、って。ぜったいに地域に歓迎される存在だと思った。
僕は、移住って住む人にハッピーになってもらいたいのは当たり前だけど、出来れば、ご近所さんにも「来てくれてよかった」ってなってほしいと思ってるので。
るみ:のんびりする生活にも憧れるんやけどね(笑)。
西川:杉谷さんには、死ぬまで走ってもらわんと!(笑)
杉谷正幸(すぎたにまさゆき)さん
大阪府泉州地区で農家の次男坊として生まれ育つ。大阪の大手非鉄金属メーカーで30年以上勤務。第二の人生を考えた時に「田舎で安心安全な食べ物を作りたい!」と脱サラを決意。2021年9月に縁あって、妻るみさんとともに日高川町に移住。10月に保護犬の空(くう)を家族に迎える。大阪時代は泉州の秋祭りに命をかける、祭り男。現在は愛車のベンツを手放し、軽トラハイゼットを愛車にしながら農業にいそしんでいる。