農道をぐんぐん昇った先に、広い空と緑の山々に囲まれた気持ちの良い空間が現れます。そこにあるのが「ソライロ」。経営されている友渕さん夫妻は、1999年に日高川町へUターンされ、セルフビルドで家を建てて暮らしています。慣れ親しんだ田舎暮らしに戻り、自然に寄り添う中で感じる感覚や大切にしていることなどを話してくださいました!
慣れ親しんだ田舎の感覚に戻りたかった
ーお二人とも、出身は日高川町なんですよね?
定代:そうです。
俊浩:僕は、生まれたのは日高川町なんですが、生まれて半年くらいで和歌山市内に引っ越しました。
ーUターンしたきっかけは、田舎暮らしをしたかったから?
俊浩:そうですね。ずっと会社員として勤めていたんですが、物を作る仕事がしたかったんです。
それで、木工の作業をするために田舎に移り住みたいな、と思って。
自営業を始めようと思った時、僕が生まれた日高川町の家が空いてたので、初めはそこに住むためにUターンした感じですね。
定代:私は、そこまで強く「田舎暮らしがしたい!」って思ってたわけじゃないんです。
でも、今思い返せば、都会の暮らしは無意識の中で自分には向いてない、と感じていたのかも。
田舎暮らしとか山の中の暮らしがしたいって思ってたのかもしれないですね。
和歌山市内に住んでいる時に山登りしたんですよ。そしたら、子どもの頃に比べて、身体がなまってることに気づいて。
昔は、サルみたいに山の中を歩けたのに。それがどうも納得いかんかった(笑)。
ー強い思いで田舎の暮らしに戻りたい、と思っていた、というよりは、潜在意識で「田舎の感覚って良かったな〜」と思っていた?
定代:そうかも知れんね。彼(俊浩さん)はずっと街で育ってるけど、ご両親や兄弟は田舎の生まれやから。田舎の感覚で育ってるしね。
ー今「ソライロ」のある、この土地に引っ越してきた理由は何だったんですか?
俊浩:前の家は、ものづくりの作業をするには狭かったんです。ものづくりや畑をするのにこの土地に決めました。
定代:この土地を買ったのはだいぶ前なんよ。購入してからは、生家がある美山地区とここを行き来しながら家を建てたり、修繕してた。
子犬7匹連れながら、通ってるときもあったんよ(笑)。
完全に引っ越す前も、時々ここに泊まることもあって。まだ壁が無くて、ブルーシート張ってる状態で、電気も、風呂もない。水は山の水だけだった。
山の水って、時々止まると台所仕事ができやんようになるので。最近やっと水道を引いたんです。
ーすごい!色んな大変な経験があって、今の暮らしがあるんですね。
昔の田舎は「自分のことは自分でする」が当たり前だった
ー自給自足を心がけていらっしゃるんですよね?お店で自家製全粒粉を使っている、と聞きました。
定代:そうですね。小麦農家ってほどの量は採れないですけど。自分たちが食べる分で、自分たちが手作業でできる範囲で作ってる感じですね。
ーUターンする前から自給自足をしたいと思っていた?
定代:私はそこまで意識してなかったけど、Uターンしてから周りの環境に影響されたのもあるんかなって思います。
私らの子どもの時って、ほとんど自給自足のような暮らしだった。
だから意識的に始めた、というよりは、自給自足が当たり前とか、自分に合ってるという感覚になったんだと思う。
ー建物はすべてセルフビルドで建ててるんですよね?もちろん、この「ソライロ」のカフェスペースもセルフビルド?
俊浩:そうです。このカフェスペースは、元々は作業場だったんですよ。お店をするために壁を作りました。
定代:だから、作業場が半分になってしまった。また増築せなあかん。エンドレスやな(笑)。
定代:ここの建物がぜんぶ出来上がったらすごいな〜、とは思うけど。まだ半分くらいしか進んでいないんちゃうん?
それでもこうして2人で住めるんやから十分よな。完成した家は見たいけどな〜。まあ、多分 2人とも死ぬまでに完成することはぜったい無いですね(笑)。
ーまるでスペインのサグラダファミリアみたいですね(笑)。
定代:よく言われる(笑)。サグラダファミリアは誰かが継続的に建築し続けるんだろうけど、うちは完成しなくてもいいんです。
俊浩:増築するより、将来をイメージして断捨離みたいに片付けていくほうがええかも分からんね(笑)。
建物には、取り壊す時に処分に困る素材は一切使ってないんですよ。
木、竹、土などは再利用や燃料になる。浪板や金属、ガラスは再利用や最資源化できるんです。
ー大工業もされてるんですよね?
定代:そうです。私たちは、大工仕事の相談しに来た人に「自分でも直してみたらどう?」って提案することが多いんですよ。
俊浩:僕が一番いいな、と思ってるのは「住む人が自分たちで家を直せること」だと思ってるんです。
定代:だから、私らが関わる人には「盗める技術は貪欲に盗んでいったらいいよ」って伝えてる。
せっかくの技術を私らだけで終わらせるのはもったいないって思うから。技術があれば、たくさんお金を使わんでも直せることもあるし。
俊浩:今の80歳以上の人たちは、自分の家は自分たちで直してた。それが当たり前だったんです。
でも今は、専門の人に頼むことが一般的になってしまった。
自分で直したからこそ、また壊れた時に、前回どう直しているかが分かる、っていう良さもあるんですよ。
ーお店は2022年にオープンされたんですよね。どんなお店なんですか?
俊浩:飲食も提供してますが、それが主な目的というよりは、木工作品や織り、染め、布などの作品を販売したり、ギャラリー展示できる店をしたかったんです。
あと、ワークショップをして、手仕事を体験してもらうような場所を作りたかった。
定代:去年は藁のワークショップをしました。藁を扱う経験をしてもらいたくて。藁は、災害時や山で遭難したとき、藁縄として役に立つんです。
昔からの知恵っちゅうのかな。少しでもみんなにそんな知恵を持ってもらえたらええな、って。
俊浩:今の80歳以上の方たちが亡くなってしまったら、せっかくの知恵や技術が廃れてしまう。
定代:自分たちだけが技術や知恵を持ってるのはもったいない。実際に経験してもらうことで、今後なにかに活用してもらえたら、って。
知ってもらえるだけでもええかな、って思ってます。小さな事やけどな。なんかちょっとでも、1ミリでも。誰かのきっかけになれば嬉しい。
移住は慌てずにありのままで居て大丈夫
ー家の修繕で移住者と関わる機会も多いと聞きました。
俊浩:そうですね。修繕の仕事から移住者と知り合いになることは多いですね。
定代:私たちって、山の暮らしも都会の暮らしも知ってるんですよね。仕事も、会社員とものづくり。両方を経験している。
どちらの良さも煩わしさのようなものも知ってるから。
両方の気持ちや感覚を知ってるからこそ、誰かに対してクッションの役目とか、助言が出来たらいいな〜って思うことがある。
ーUターンして「私たちは両方の感覚を知ってるんだ」って気づいた?
定代:そうね。だから移住したり、Uターンしてきた人に何か出来ないかな?って思ったりはしてます。
かと言って、精力的に何かしたい!っていう訳でもないんやけど。自然とそんな出会いや関わりがありますね。
俊浩:そうやな、自然とそんな関わりが出てくるな。
定代:「どうしよう?」って考えたり、悩んでる人が、一旦うちを経由するっていうのはけっこう多いかな。
ーとても自然な形で、友渕さん達だからこそ出来る役割を果たしてるんですね。
定代:まぁ、カッコよく言うとね(笑)。うちに来た人たちが、知らん間に土地に馴染んでるわ〜って思うこともちょこちょこあるかな。
ー今、移住を考えている方にメッセージはありますか?
俊浩:難しく考えんと。とりあえず来たらなんとかなるから(笑)。慌てんでも、自然と知り合いもできてくる。仕事は、農業のアルバイトもあるし。
定代:慌てやんほうがええわ〜。今の世の中、1.5倍速とか言うてるけど。0.5倍速くらいでええんと違う?(笑)
そのくらいの気持ちのほうが普通に暮らせるんちゃうかな。
ー確かに!そのくらいのスピードがいいのかも知れませんね。もし、移住者が家を修繕してほしい、って思ったら相談に乗ってくださるんですよね?
俊浩:はい、もちろん受けてます。全部まるっとこちらで修繕させてもらう場合と、希望があれば教えながら直すことも出来ます。
定代:ワークショップ的に一緒に家を直すのもいいな、と思ってます。まずは、力になれることがあれば一度ご相談ください!
友渕俊浩(ともぶちとしひろ)さん・定代(さだよ)さん
ご夫婦ともに日高川町出身。俊浩さんは出生してすぐに和歌山市へ移り住み、福井県の若狭地方で会社員として働く。定代さんは日高川町で生まれ育った後、和歌山市内で看護師として働いていた。俊浩さんの「田舎で手仕事をしながら暮らしたい」という思いから、1999年に日高川町にUターン。2012年頃に現在の場所にセルフビルドで家を建て、移り住む。2022年6月に「ソライロ」をオープンし、定期的にカフェやワークショップを開催している。