農業に興味のある方は、「日高川就農ガイド」を見てね。

都会で感じていた束縛からの解放!心を解放できた田舎での暮らし

都会で感じていた束縛からの解放!心を解放できた田舎での暮らし

取材中、都会暮らしの話では「窮屈」、田舎暮らしの話をする時は「束縛からの解放」「楽しい」という言葉を、何度も口にしていた道仙さん。その言葉の連呼に、田舎暮らしの満足感が伝わってきます。日高川町に来てからの心境の変化や、看護師の視点から見る農業の面白さ、思い描く夢などを語ってくださいました!

都会に感じていた「窮屈感

ー奥さんが和歌山出身だったと聞きましたが、奥さんの希望で移住したんですか?

信也:僕の希望です。大阪って人だらけじゃないですか?建物もビッシリあって。とにかく窮屈さをずっと感じてた。田舎やったら自然半分、人半分みたいなイメージだったので。

30歳半ばくらいになって「人生、残り半分くらいやな」って思ったときに、自然半分・人半分の世界に住んでみたい、って思い始めて。とにかく窮屈からの解放を、どんどんどんどん募らせていった。

妻は、最初は仕事を辞めてまで移住するのは……って感じやったんですけど。妊娠してから妻の感覚もちょっと変わってきたような感じでした。最終的には(妻は)「行こう」って言ってくれました。

白衣を着た男性がヘッドライトを頭につけてペンライトを手に持っている
大阪で病院勤務時代の信也さん

 

ーお二人とも看護師だそうですが、職場で出会ったんですか?

信也:妻は専門学校を卒業してすぐに大阪の病院に勤めてて。僕は26、27歳くらいまで定職につかずに過ごしてたんですが、これじゃあかん、と思ってハローワークへ行った。紹介してもらったのが妻が働いてた職場のヘルパーさん。看護補助みたいな。その3年後くらいに僕も看護学校に入って看護師になったんです。

ー職場で出会ったときに、すぐに付き合ったんですか?

信也:そこはなかったんですよ。だんだん仲良くなって。3年ヘルパーやったんですけど、3年目のときに看護学校に合格できて、3年で辞める、ってなったタイミングで。まぁすごい仲良かった延長で。たぶん……(妻が僕に)惚れたんでしょうね(笑)

ー(一同爆笑)(みどりさんからの無言のツッコミ)

信也:辞めていくから寂しいみたいな?(笑)

ー居なくなって初めて気づいた、みたいな?(笑)

信也:気づいたんでしょうね、居なくなるって分かって。失うものの大きさに気づきはって(笑)。辞めるタイミングでお付き合いを始めて、というところですね。

 

移住してすぐ、2人の子どもに変化があった

ー奥さんとしては子育てをするには田舎がいいかな?って考え始めた?

みどり:そうですね。ずっと不妊治療してたんです。

信也:付き合い始めたとき、妻が36歳ぐらいやな。付き合ったときから年齢が年齢やったんで、結婚を視野に入れて。当時は看護学生やったんで、付き合って1年で、籍だけ入れたんですよ。

ただ、妻は、妊娠がしにくい体質やって。ずっと看護師として夜勤をしながら働いてたんで、ホルモンバランスも崩れるし、妊娠しにくかったんですよ。不妊専門の病院に通ってアドバイスを受けながら。1回に高いお金を払って治療しても、先生が結果を言うときに「ダメでした、次いつにしますか?」みたいなんを十何回と繰り返した。

もう次の治療で終わろう!って言ってた最後から2回目のときに。結果を聞きに行ったら看護師さんが「どうぞ!」っていつもとは違う感じやったんすよ。それで、やっと不妊治療との戦いは終わった。ほんで、フタ開けたら双子やってな(笑)。

ベビーカーに乗った男女の赤ちゃん

 

信也:移住してきた月から、子どもらも変わったもんな。

ーどう変わったんですか?

信也:僕から見たら、解放されたというか。僕と一緒で。大阪でも楽しんでる感じはあったけど。ここに来たら「わー!」っていうような。明らかに変わったな、って移住して初めの月から夫婦で言ったのを覚えてますね。

 

子どもたちに「ふるさと」と呼べる場所を作ってあげたい

ー移住してきてよかったことは何ですか?

信也:子どもたちのことで良かったことは、田舎に来たことで、子どもたちにとって「ふるさと」が出来たこと。大人になって、彼らはきっと田舎を出ていくと思うんです。自分たちのやりたいこと見つけて。出ていったときに、帰ってくる田舎があるっていいなって。

大阪やったら、小っさい時にあった建物が壊されてて、ドラッグストアとかスーパーが建ってたりする。子どもの時に見てた景色とまったく違う景色になるから「ふるさと」っていう感じじゃないんですよね。

僕も大阪でずっと育ってるんですけど、生まれは岡山県。おばあちゃんちに行ったら、子どもの頃に見た景色とまんま変わってない。同じ道の角を曲がったら山があって。「これ、覚えてる景色!うわぁ〜!」って心が暖かくなったりとか。

ふるさとに帰ってきた、っていう気持ちになるんですよね。大阪は一個もそういう気持ちにならないんですよ。変わっていくんで。そういう意味では、子どもらにふるさと作れたのは良かったかなって。

 

ーステキな話ですね。日高川町には変わってほしくない、今のままでいて欲しい、と思いますか?

信也:ぜんぶ変わって欲しくないですね。あの角を曲がったらおばちゃんの家があって、この先を行ったら遊んだとこや、って。それだけでどんどん心が満たされていく。帰る場所があるって感じ。

鳥居に向かって歩く子ども2人

 

田舎暮らしは毎日が夏休み

信也:知り合いから「そっちに行って楽しい?」って聞かれるんですよ。生活の様子を伝えながら「ひとことで言ったら、毎日夏休みや!」って答えてる。だから、みんなには田舎暮らしはものすごい楽しいって伝えてるんです。

こっちに来て、たまたま同じ職場で気が合う友だちができて。すごく仲良くなったんです。うなぎ釣りを一緒にし始めて。職場でお昼休憩に、二人で鍬を持って、職場の周りで「ミミズ取れたぞー!」って。帰宅したら「うなぎ釣り行こかー!」って。子どもらも連れて、家族でうなぎ釣りに行ったりもします。

星がキレイで、空気も気持ちよくて、川のせせらぎとかもね。うなぎ釣りしながら友だちに大阪に居った頃の話とかもして。そんな日々を、毎日のように送ってる。

橋の上で男性が釣り竿を持ち、子ども2人が箱に入っているものを触っている

 

信也:普通、昼休みって体力の温存とか身体を休める時間じゃないですか。僕らは、汗かいてミミズ掘るほどパワーが有り余ってて(笑)。大阪におったら、考えられへん。それで仕事も楽しい

給料が少なくなってるけど、ぜんぜん楽しい。「10万やるから、元の仕事に戻って」って言われてもイヤやし。20万って言われてもイヤですね。それぐらい、今の生活に満足してて、楽しい

 

こんにちは」じゃなくて「おかえり」と言える関係性

信也:家に帰ってきたら、近所の人が「おかえりー!」って言ってくれる。「おかえりー」ですもんね。「こんにちは」じゃなくて。僕らが移住してきたときも、近所の人たちが「大阪から来てくれた道仙さん」って言ってくれてね。「来た」じゃなくて「来てくれた」道仙さんって。それを聞いて、すごい迎え入れてもらってる感じがした

まだ、来て1年半ですけど。ずっと前から居るような感じで接してくれますし、すごく居心地が良い。楽しいですね。本当に来てよかった、お金じゃ代えられない。田舎暮らしは、一度は絶対に体験したほうが良いと思います。やり直せますしね。合わんかったら辞めたらええし。

 

ーすごくステキな話です。田舎に移住して、周りと馴染むために意識してることはありますか?

信也:こちらから無理に関わりを持っていかんでも、向こうから関わってきてくれます。子どもを連れて散歩してたら「野菜持っていき」とかね、果物を持たせてくれたりとか。近所の人も「これ作ったから持ってきた」とか。

お返しするのも気を使ってくれる。パックに入れて「これ作ったから食べてー」って言うけど。「何かに移して、入れもんはすぐ返して」って言うんですよね。あ、お返しできへんように気遣ってくれたんだなって。パックを返す時に、何かお返しをつけて返すじゃないですか。だからお返ししなくて良いように配慮してくれてるなって。

そういう気遣いとか、思いやりみたいなのも勉強になったというかね。都会よりも、そういう関わりが多い。

ブルーベリーを持ったご夫婦と2人の子ども

 

ー道仙さんたちが自然体で居ることが良いんだな、って感じました。してくださる人への感謝とか、思いやりに気づいて感謝する気持ちが相手にも伝わるのが良いんだろうなって。道仙さんたちは、それが当たり前に出来てるんだろうなって思います。

信也近所の人に恵まれてるんもあるんでしょうけどね。僕らも、この環境が心の解放なんでね。この環境がそうさせるというか。

大阪に居るときは、隣の人と喋ったりもしなかったですし。大阪でも僕らが同じように出来てたら、僕らの力なんかなって思うけど。大阪では出来てなかったことが、日高川町に来たら出来るようになってる。人との関わりが明らかに増えてますし。笑顔も増えてる。やっぱこの環境のおかげっすね。僕らが楽しくやれてるのは。

 

ー道仙さん自身が楽しくしてるから、みんなが満足すると言うか。応援するんでしょうね。楽しんでる道仙さんを見て嬉しい、何かしてあげたいな、してもらって嬉しい。その両方だと思う。循環してる。それが理想ですよね。

川辺で座っている子ども2人

 

ー移住してきて大変だったことはありますか?

信也:ないですね〜。ある?

みどり:ぜんぜん無いですね〜。

ー田舎と都会のギャップもない?

信也:ガソリンはツケで行けるんやー!とか(笑)。支払いは、次のガス代と一緒に来るから。ツケなんか出来るんですか〜?!って。楽しいギャップばっかりですね。

 

心の余裕が出来たことで生まれた夢

ー移住してやりたいことはあるんですか?

信也コーヒー豆の栽培を考えてて、今動き出してます。大阪に住んでるときから思ってたんです。夜勤のとき、妻がコーヒーを持たせてくれてて。5時頃、朝ごはんを食べる時に最後にコーヒーをガーって飲んで。あと9時までひと踏ん張り、みたいな。いつもそれをルーティンにしてて、それが力になってた。

ある日、コーヒーを見たら「あれ?国産のコーヒーが無いな」ってふと、降りてきて。調べていったら、コーヒー豆の99%は輸入に頼ってる、なのに消費は世界4位らしい。むちゃくちゃ消費してんのに、全部輸入してる。でも、それには日本で作れない理由がある……そこから色々と調べ始めたら「うわーおもしろいな、おもしろいな」ってなって。

日高川町に移住してきて、この自然の環境に触れて、仕事も病院から特養の勤務に変わったことで心の余裕も出てきたんですよね。役場とかに色々と電話して、少しずつ動き出した。

最初はJAとかに電話しても「まずは農業の勉強をした方がいいんじゃないか?」って話だった。とにかく農業の勉強せなあかんな、って思ってたら、2021年の年末にテレビで、白浜でコーヒー豆の栽培を始めた人がテレビに出てた、っていう情報を紹介してもらって。「えー!これはもう確実に縁や!」と。

すぐにネットで検索して「会いたいです」って電話入れて。会いに行って、色々聞いてるうちに、段々分かってくるじゃないですか。どんどん、やりたいって気持ちが出てきた。今は、それが夢になりつつあるような感じですね。今は勉強がてらに手伝いに行くようになってる関係。役場の人も協力してくれて、土地を探してくれてます。ちょっとずつ、夢じゃないけど、夢になりそうな感じです。

 

ー信也さん、行動力ありますよね!

信也:興味あるのは全部、手を付けちゃうから。全部が中途半端、みたいなこともあるんですけど(笑)。コーヒー豆だけは、中途半端にしたら大変なことになるんで。

ー今までだったら、気になったら色々手を付けるタイプだけど、今回は慎重にやってる?

信也:だいぶ慎重にやってます(笑)。

 

ー農業は未経験なんですか?

信也:経験ないです。でも、植物について調べていくと、光合成って何か、とか。土にはpHがあって、人間もpH、酸塩基平衡があるじゃないですか。水分をガーって上げて、葉っぱまで行って光合成をして。二酸化炭素を取り込んで酸素を出す。これって人間で言ったらガス交換と一緒ですよね。糖分を作り出して、それをATPとしてエネルギーにする。人間のATPと一緒。調べていくうちに、人と植物は一緒で、農家さんがやってることはまさに「看護と一緒やな」って。

農業は未経験で、まったく知識はないんですけどね。看護をする、という面では得意分野かな、って。観察する、とか、こういう症状が出たらこうして行こう、とか。どう看護をして行くか、という視点。そういう面では面白いな、って思ってます。

 

田舎暮らしをすることで夢を思い描いてもいいと思えた

信也:コーヒー豆栽培がしたい、という発想とか、実際に行動に移せるのも、この環境におってこそ。束縛からの解放があるから。何かやってみたい。一度きりの人生、死ぬまでにやってみたいことを残りの人生でできるだけやってみたい、というか。そんな風に都会に居ったら考えられないかもしれないですね。

ー都会だったら、どう思ってたと思いますか?夢が思い浮かんだときに。

信也:やってないと思いますね。とにかく縛られてましたからね、心まで。残業もあるし、夜勤前とか情報収集でピリピリするし。終わったら終わったで「やり残しは無いかな」って気になって寝られへんし。鎖に縛られたような。

こんなん、してみないなー」とか思う余裕もないような感じやったんでね。それを全部、取っ払って出てきた。青い空と、デカい山に囲まれて。「何でも出来る!」って思える、この解放感。自分の色んなことが変わりましたね。挑戦してみたい、という気持ちが出てきました

ー夢を思い浮かびすらしなかった?思い浮かんでも実行には移さない、というか。

信也:思い浮かんでもすぐ現実に戻る、みたいな(笑)。

笑顔のご夫婦と子供二人

 

ー移住して気持ちの余裕ができたんですね。

信也:勤務先の老人ホームの利用者さんに受診同行するとき、車の中から山並みと青い空を見ながら「今、仕事中やんな?」って思う。仕事中にこんな空気吸って、こんな絶景を見ながら「うわ〜幸せやな〜」って。

それも心の余裕っていうか。解放感っていうかね。大阪にいる頃と仕事の拘束時間は変わってないんですけど、時間以外の拘束はされてない、っていう感じですね。

 

ー日高川町に対して「こうなって欲しい」とか希望はありますか?

みどり:今で充分、満足してます(笑)。

信也:今、サポートや関わってくださる人で充分ですけど。僕は農業をまったく知らないので、農業やってる人とか。そういう人と繋がれたらありがたいな、って思いますね。

 

プロフィール

道仙信也(どうせんしんや)さん・みどりさん

ぴーすして笑っているご夫婦と2人の子ども

信也さんは岡山県出身、2歳から中学生まで大阪府泉佐野市で育ち、高校生から27歳まで高石市に住んでいた。みどりさんは和歌山県の大塔村(現在は田辺市)で生まれ育ち、看護学校の進学を機に大阪へ移り住む。大阪府堺市の病院勤務時代に出会い、その後結婚。2019年に2児を授かる。2021年4月に日高川町へ移住し、田舎暮らしを楽しんでいる。

ABOUT US
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佐藤 礼(さとうあや)インタビュアー
岩手県奥州市出身。2021年2月に日高川町へ単身移住。移住後に自身が感じた日高川町や田舎暮らしの良さを伝えたい!とインタビュアーとして活動中。ライター、看護師、農業、SNS運用などパラレルワーカーとして人生を楽しんでいる。 インタビューのご依頼等はコチラから。