農業と福祉の連携(農福連携)というビジョンを持ち、地域おこし協力隊に就任した村越さん。任期終了後は、農福連携事業に関わってきました。現在は、将来を見据えて大阪府の福祉の企業で働く日々。常に目標を持ち続けながら行動する。その生き方について話してくださいました!
農福連携をイメージして地域おこし協力隊へ
ー日高川町に移住したきっかけは、奥さんの実家だったからなんですよね?移住してすぐに地域おこし協力隊になったんですか?
村越:はい。移住した年の4月から、地域おこし協力隊として活動を始めました。
移住前は障害福祉の仕事をしていて。その中でも就労支援に関わっていました。
就労支援の作業所って、パン屋とか、色んな仕事があるんですが。その中でも、僕は実家が農家だったり、田舎が好きということもあって農業をしたいと思った。
村越:福祉✕農業。視点を広げると、福祉✕地域おこし、みたいな感覚。
福祉の作業所が、町の困ってるところを担えたら、 社会にとってめちゃくちゃいいな、と思って。
僕は、福祉の経験があるし、資格も持っている。だけど農業や地域おこしの知識は無い。じゃあ、一旦福祉はやめて、がっつり行政に入って学ぼう!って思った。
協力隊の任期が終了する3年後、福祉✕農業のかけ算が出来るんじゃないか、って。逆算してやりました。
ーかなり戦略的なんですね!任期中はどのような活動をしたんですか?実際に農福連携は実現できた?
村越:任期中は実現できなかったですね。僕が担当していた寒川地区のミッションは、椎茸の産地化、ホタル祭りの復活、間伐材の活用の3つだったんです。
村越:中でも一番印象に残っているのは「ホタル祭りの復活」です。一番、寒川地区の方々と交わる機会も多かった印象です。
そこで、どんなイベントにするかを地域の皆さまの色んな意見を一つにまとめていく事の難しさや、それを乗り越えたときの達成感などを実感できたことは大きな財産となっています。
ただ、協力隊として求められている事と自分のやりたい事をどうすり合わせていくのが良いのか。それは、本当に毎日、自問自答していました。
移住者が農業をやる、っていうのはイメージしやすいけど、農業と福祉を絡めたビジネスをするというのは、なかなかお伝えするのも難しい印象でした。全然やむを得ないなと思ってますけどね。
村越:なので、寒川地区の3本柱と言われている地域課題の仕事はしっかりする。でも、個人的にその合間に農家さんとの繋がりを作っていきました。
僕の場合は、協力隊の制度をうまく活用できた、とは思ってないんですが、協力隊の時間を活用して人との繋がりを作れた、とは思っています。
協力隊としての活動を経て農福連携を実現
ー任期終了後に農福連携事業を本格的に始めた?
村越:そうです。最初は起業しようと思って準備をしていたんですが、既に立ち上がっていた事業所で働きながら、農福連携をしました。
個人的に、福祉事業として農業とキャンプ場管理の委託は受けていたんですよ。
起業を考えていたタイミングで、既に立ち上がっている事業所の社長に事業説明をしに行ったら「その事業、一緒にやりませんか」と言ってくださいました。
僕の目的は起業じゃなくて自分の事業をすることだった。
だから社長には「事業内容に関しては私に任せて頂いて、しっかりと結果を出します。よろしくお願いいたします」って伝えて、勤めることになった。
結果的に4年間、事業責任者として本当にありがたい経験をさせて頂きました。
ー村越さんにとって、良い経験になったんですね。
村越:はい。4年間自分のやりたいことをさせてもらえましたからね。経営も軌道に乗せることができた。
じゃあ、次に自分がどうステップアップするか。それを考えたんです。まだ自分の中では力がついてる気がしてなくて。その時に、今の会社に出会いました。
その会社に入ったら大変なことは目に見えてた。でもチャレンジは若いときにしかできない。人生これが最後のチャレンジかな、荒波に揉まれに行こうかなって。ドM根性が出てきて(笑)。
それで、今の会社に入ることを決めました。
ーまた新たな挑戦のタイミングなんですね!今でも寒川地区の方とやり取りすることはあるんですか?
村越:スーパーで会ったときにしょっちゅう声をかけてくれますよ!数日前、5年ぶりに電話をくれたおじいちゃんが居たんです。
電話の内容は「村越くんが取り付けてくれたワイヤー、4mmやったかな?5mmやったかな?」って、覚えてないわ!って感じだったんですが(笑)。なにか僕と話したかったのかも知れませんね。
5年経っても、僕を思い出して電話をかけてきてくれる。そんな関係性が築けてたんだ、って思えて嬉しかったです。
まずは「自分が何がしたいか」を明確にする
ー村越さんは、はっきりとビジョンを描いて協力隊になってますよね。だから軸がブレず、振り回されずに居られたんじゃないかって感じます。
村越:まさにそうだと思います。何か目標を達成するのに、都会、田舎は関係なくて。マインドの問題だと思うんですよね。
もし今、家が吹っ飛んで見知らぬ土地に住むことになったとしても、僕は家族と楽しく生きていけると余裕で思ってる。
ーどんなマインドで地域おこし協力隊の活動ができるといいな、って思いますか?
村越:地域おこし協力隊だから仕事ができる、起業できるってことではないと思うんです。この制度を利用しなくてもやりたいことを実現できてる人はいる。
だから、まずは「自分が何をしたいか」。それを考えたらいいんじゃないかと思います。
自分のやりたいことが分かった上で、地域課題とマッチしているなら、めちゃくちゃいいと思うんです。
村越:地域と個人の目的をしっかり理解しつつ、それをマッチさせる。でも、お互いがマッチできるように努力することも必要ですけどね。
ーお互いが努力する姿勢、すごく良い表現ですね!
村越:自分が目標設定をして、それを掲げればいいだけ。シンプルなんですよ。
たとえば「カフェをしたい」って目的を周りに伝える。そうすると「この店舗を使っていいよ」とか、「ノウハウを教えてくれる人がいるよ」とか言ってもらえる。
声を上げることで何かしらのアドバイスをくれる人がいると思うんです。1人、アドバイスをくれる人が見つかれば、その1人からまた人脈が広がるんですよね。
田舎は本来の人間らしく居られる
ー村越さんが思う、田舎暮らしの良さって何だと思いますか?
村越:人間らしく居られる、ってことですかね。
100年前は自然がたくさんあって、自然がそばにある暮らしだった。だけど今の都会の生活は、昔の暮らしとは相反する。
ビルに囲まれて、人との交流がネットになった。理性ではスマホを使いこなせてても、遺伝子レベルでは対応できない。だから病むんだと思うんです。
人間らしさっていうのは、自然の中の緑を見て、空気を感じる。そこしかないと思ってて。 だから、僕は自然のあるところで過ごしたい。
ー自然の中で暮らすことで本来の人間らしく居られる、ってことですよね。
村越:そうです。ぜったい田舎の方が人間らしく過ごせる。田舎は人との交流が多いから。
日高川町の人はみんな優しいですしね!……って僕の好感度を上げにいってますけど(笑)。
ー(笑)。でも優しい人が多いのは本当のことですよね!
村越:ですです!ネットとの繋がりだけで生きていける、って言う人もいるけど。やっぱり対面でしっかり喋るって必要。
日高川町に住んでたら、温泉とかで平気で「どっから来たんや」って個人情報を聞いてくる。でも、これでいいんじゃないかなと思う。
世間の言う、個人情報やらプライバシーの意見も、もちろん理解しています。
ただ、温泉で自分の子どもと地域の知らないじいちゃんが話している光景は、どこもイヤな気がしないし、むしろ温かさすら感じます。そんな空間に価値がある気がしますけどね。
移住が失敗になったって良い
ー今、移住を考えている方に伝えたいことはありますか?
村越:もし移住して悩むことが出てきたとしても、人生ではいつか悩まなきゃいけないタイミングはどうせ来る。
だから、悩みたかったら日高川町で悩んでもいいんじゃない?って思う。気軽に来て、やっちゃえよ!悩むなら悩めばいいじゃん!って。
そっからが人生のスタートだと思うから。……ただ「村越が言ったから」って俺のせいにせんといてよ、とは思うけど(笑)。
ー移住したいなら「来ちゃえよ!」って感じですね?
村越:そうです、来ちゃえばいいと思います!失敗するなら失敗して、そこで気づけばいいし。成功したら成功してくれたらいい。
ー村越さんは、奥さんの地元に住んでいる形ですよね?
村越:そうなんです。僕はマスオさんモデルって名付けてます。実は、奥さんの地元に住むってハッピーなんですよ。
奥さんは家事や育児のサポートが受けられる。旦那さんの仕事のパフォーマンスも上がるんです。
もし奥さんが沖縄の人だったとしても、僕は沖縄に行ってましたけどね。それだけ奥さんが好き、っていう。
……これ「村越が愛妻家としての好感度上げにいってる」って書いといてくださいね!(笑)
ー書いてくれ、と言われると書くのがイヤになるのは何ででしょうね〜?(笑)今日は長い時間ありがとうございました!
村越拓也(むらこしたくや)さん
静岡県藤枝市出身。愛知県の大学在籍中に、今の奥さんと知り合う。2015年に奥さんの実家のある日高川町へ移住。同年4月から地域おこし協力隊として活動。その後、日高川町内の就労継続支援事業所で勤務。現在は将来を見据えて、大阪府の福祉サービスの企業で働くという新たなチャレンジをしている。